「励ましに満ちた決定」  06.05.07
                 使徒言行録15:22〜35

 「人が救われるのは、十字架にかかって自分の罪を取り除いて
くださったイエスさまの恵みを信じることによる。自分が何をしたかに
よってではない。 あなたも、イエスさまの恵みによって救われる
ことを、信じて良い!」
 その福音の言葉を聞き、イエスさまを信じて喜んで生きるように
なったクリスチャンたちが、動揺していました。
 「あなた方は、イエスさまを信じているけれども、それだけではダメだ。
 ユダヤ人のように割礼を受けていない。聖書のことをあまり知らない。
 これまで神さまに喜ばれるような生き方をしてこなかった。
 そんなあなたが救われるはずがない。」 
 そんな風に、ある人々から言われたからです。
 そこで、「救い」を巡ってエルサレム教会で話し合いをすることに
なりました。「ある人々」も、パウロもそこに行きました。
 そして、戻ってきたのはパウロでした。
 つまり、「イエスさまによる救いを信じたら良い」との言葉が戻って
きたのです。どんなに嬉しかったでしょうか。どんなに安心したでしょうか。
 この時の人たちのように、自分が救われることを信じられなくなったり、
疑ったりすることがあります。「ある人々」から言われなくても、自分自身の
心の中から「自分が救われるはずがない」との言葉が響いてくる時が
あります。
 自分自身を見れば、救いにふさわしくないことに気付きますから、
救いを疑う思いがすぐに出てきます。


 しかし、「パウロが戻ってきた」という場面を通して、救いの根拠は
自分自身の持っているものではなくイエスさまの恵みであることが、
あらためて、はっきりと告げられています。


 エルサレム教会から届けられた手紙には、愛による配慮を期待する
旨が記されていました。彼らは、それを見て励まされました。
 自分たちが、愛のある配慮のできる者とみなされていたからです。
 「ダメ」ではなく「期待」に、喜んで応えたことでしょう。

 神さまは、救われた私たちにも、愛のある配慮ができる者として
信頼し、期待してくださっているでしょう。